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2012年6月23日 (土)

曼珠沙華

尾崎放哉の後は

久しぶりの山頭火の句です、といっても

「山頭火句入り100印」を作った時の余りですが

結構な数がありますので、ご覧ください。

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120c003_2   「今日も郵便がこないとんぼとぶとぶ

    訪ねてくる人はいない庵で

    誰かが来ないかとひとり待っている

   

122c003   「けふもいちにち風をあるいてきた

     風に向かいながら風に押されながら

    歩くことを止めないように

  

123c003   「ここらでやすもう月草ひらいてゐる

   月は出た

   泊まるところがない

  

  

124c003   「こんやはひとり波音につつまれて

    暖かい砂に体を埋めて

    波を枕にするのもたまにはいいもの

  

125c003   「ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる

    秋になると彼岸花の綺麗に咲いている

    場所を探しに出かけます

       わりと好きな花です

    

   

    しばらく

一日一顆①

  山頭火の句をイメージしながら、今度は句の入ってない 

  「遊び印」を一日一顆として少しの間だけですが

  試しに載せてみたいと思います

  この遊び印に合う山頭火の句を考えていただければありがたいのです

   

149c003   誰か来そうな気がして

  さっきから縁側に座っている

  郵便を待っているのか

  酒を抱えた友人を待っているのか

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遊び印(俳句)」カテゴリの記事

コメント

形無し!
歌舞伎でも、茶道でも、俳句でも、和歌でも、能でも・・・いわゆる「伝統文化」には伝承される「決まり事」「型」という物が有るわけで、五七五だったり、二上がり三下がりだったり、表千家や裏千家だったりする訳です。

問題は「それを学び習得した上で、既存の物に飽きたらず、新しい形を生み出す」のが自由律だったり、山頭火だったり、前衛書道だったりするのですが、「伝統芸術を学び習得した上で」が必要なのです。
ピカソもちゃんとしたデッサンも描けますし、放哉だって普通の俳句も有ります。
型を習得せずに、勝手にやるのは、めちゃめちゃで「形無し」と言われ、物事を壊すだけです。
新しい「型」を生み出すには、それに裏付けされる「並はずれた力」が必要なんですよね!

だから、私は模倣専門で、独自の物は生み出せません!

投稿: 閑おじ | 2012年6月23日 (土) 17時05分

>この遊び印に合う山頭火の句・・・・

例えば、

”あんたがくるといふけさの椿にめじろ”とか

”夕月に夕刊がきた”とか

”どうでもここにおちつきたい夕月”とか

漂泊、行乞の俳人だけに、安居して何かを待つという句は少ないようですね。

投稿: 埼玉の酔仙 | 2012年6月23日 (土) 17時15分

dollar閑おじさん

模倣=真似=学ぶですか
閑おじさん スゴーーーイ
新技を一杯取り込んでいるように
思いますが
本人は納得しないのでしょうね

投稿: 房州や | 2012年6月24日 (日) 22時59分

dollar埼玉の酔仙さん

酔仙さんはそうきましたか

>安居して
 それでも、松山に庵を持ってからの
 晩年は少しは落ち着いたのでは
 ないでしょうかね

投稿: 房州や | 2012年6月24日 (日) 23時01分

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