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2010年8月15日 (日)

印・道具・昔は②

お盆につき、昔のことを少々

昔は使っていたのですが

最近は見かけなくなったものを

「ハンコ」にしてみました

トイレ(いや便所といったほうがいいのでしょう)で用をたして

手を洗うときに、

設備の整った家には水道の蛇口をひねって洗っていたのですが

そうでもない家庭では①手水鉢の水をひしゃくで汲んで洗うか

この吊り手水で洗ったものです

C001_10  15×15mm

  下のこまみたいなところを下から上に押すと

  水が出てきます、その水で洗った後、近くに

  ぶら下がっている手ぬぐいで手を拭くのです

           水が直接、庭に落ちるところもあれば、流しに

           落ちるのもありました。

           水は蓋を取って上から入れます

           ホーロー製ではなかったかと思いますが

           どうでしょうか?

           (大量の水を使わない、自然にやさしい用具です)

もうひとつは、火鉢です

体のほんの一部しか暖まりません、もちろん部屋全体を暖めることは

殆ど無理です。

お湯を沸かしたり、もちを焼いたりしました

五徳、火箸、灰ならし等が中に入っていました

C001_11 15×15mm

 我が家にあったのは、もう少し濃い色でした

  

  

  

  

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遊び印(その他)」カテゴリの記事

コメント

「吊り手水」、名前をやっと思い出しました。
うちのはブリキ製だったかな?
よくは覚えていませんが、下に砂利を敷いて
やつでの木が植えてありました。
どうしてだか、やつでを植える家が多かったように思います。
そう言えばうちの博物館収蔵庫には吊り手水がありません。
どこか近在の農家からでてこないかしら。

投稿: ひろみママ | 2010年8月16日 (月) 16時43分

これは「釣り手水」って言うのですか。
子供の頃親戚のトイレの手洗いはコレでした。
たしかブリキ製でしたよ。
子供にはちょっと高い位置にあったので
これで手を洗うと腕を伝わって脇の下まで
濡れれて困ったものでした。
火鉢は田舎の物置きに5っしまってあります。
そのうちに高く売れるのではないかと、楽しみ
にしているのですが・・。
   pig

投稿: 山豚火 | 2010年8月16日 (月) 21時51分

sweat02ひろみママさん

ヤツデに玉砂利とは風情がありますね
トイレの前の廊下の軒先なんかに
ぶら下がっていたりしたものです。
見かけなくなったのはいつ頃からでしょうか

新しい記憶が薄れる一方で
古い記憶がふいに甦ってくる
この頃です

「吊り手水」見つかるといいですね

投稿: 房州や | 2010年8月17日 (火) 07時31分

sweat02山豚火さん

火鉢がそんなにありますか
近所には、火鉢に睡蓮を植え
めだかを沢山飼っている人がいます
「え~ーーー山豚火のメダカだよーーー」
「火鉢で育てたメダカだよーーーーーー」
なんて掛け声で、リヤカーでも引きながら
歩きませんか  山豚火さん

投稿: 房州や | 2010年8月17日 (火) 07時35分

吊り手水(そういう名前だったんですか)、昔はいろんなところにありましたね。
実家の法事のときに行くお寺は、私が子供のころからそのままの本堂。

今年の2月に法事があって行ったのが最後ですが、お手洗いには今もこの吊り手水があったような気がします。
今度行ったときにまだあったら、写真撮ってきますね。
ちなみに場所は杉並区の高円寺。
都会の駅前を歩いて、一歩門をくぐるとタイムスリップします。

投稿: 峰猫 | 2010年8月17日 (火) 09時16分

瀬戸物の火鉢は余り高くは売れないでしょう!
勿論、吊り手水も・・・

愛知県の常滑(とこなめ)は、昔から瀬戸物の産地ですが・・・
所で「瀬戸物」は関東の呼び名で、西へ行くと「唐津もん」と言います。どこから、変わるのかは知りません。
常滑ですが、大正時代までは主に瓶(かめ)・土管を生産していました。最近まで下水管は主に土管でした。
それが、関東大震災で東京周辺が被害を受け、当然、食器類が壊れて無くなった訳です。
今の様に交通輸送手段が良くないので、関東近県の陶器の産地が潤った訳です。
それが、笠間焼・益子焼です。
そして、冬の暖房機「火鉢」を大量生産したのが「常滑」でした。土管を切って底を付けて火鉢に・・・
これで、栄えたと昔の人に聞きました。(父ですが)
今では、大きな火鉢は「信楽」位しか作っていないのでは?

投稿: 閑ジャニ | 2010年8月17日 (火) 09時33分

sweat02峰猫さん

ほほーー!
まだ吊手水を使っているところがある
懐かしい景色なんでしょうね
是非、写真を撮って
見せてください
「峰猫さん吊り手水を使うの図」
是非、和尚さんにとってもらって
ブログにアップしてください

投稿: 房州や | 2010年8月17日 (火) 12時35分

sweat02閑ジャニさん


土管・たぬき・火鉢
一楽・二萩・三唐津

大阪では瀬戸もんでしょう(おそらく)
そうすると、中国・北部九州では唐津もん?
四国は?

唐津の港から輸出したから唐津もん?
有田は伊万里から輸出したから何もん?

一人で謎が謎呼ぶ火鉢事件を楽しんでします


投稿: 房州や | 2010年8月17日 (火) 12時42分

四国はカラツでありました。
確かに子供のころはカラツと言ってました。

カラツが唐津のことだと判るのはもっと後で、その頃にはだんだんセトモンと言う言い方が増えてきました。
瀬戸の大量生産もんが増えて来たころでしょうか。

今はどうだろかな~カラツモンは……

投稿: 章魚庵 | 2010年8月17日 (火) 16時15分

sweat02章魚庵さん

そうですか
章魚庵さんの
四国は「唐津もん」でしたか
それでは
奥州や蝦夷地は何だったのでしょうか?
知りたい。
何でも知ってる閑ジャニさん教えて

投稿: 房州や | 2010年8月17日 (火) 17時04分

吊り手水は、母の実家にありました。
下には、石をくりぬいた大きな手水鉢があったように覚えています。

昼でも、トイレに行くのは、ちょっとした冒険でした。
ぐるりと続く縁側をすすみ、Tの字に10メートル(もっと短かったかもしれないけど、子供心にはとても長かった)ほどのびた細長い廊下があって、突き当りに大と小のトイレがありました。
勿論、薄暗く、廊下の小窓からは庭木が見えました。そう、ヤツデや南天でしたね。

居間から最も離れた場所なので、ひとの声など聞こえてきません。

廊下はきしむ。
小窓からは、かさこそと物音が・・・。


怖かった~!

でも、手水のところでふと見あげると、きまってよい月が出ていたことだけは覚えています。

といって、おんな放哉にはなれませんでしたけどね。

参考になれば・・・山陰も、確かカラツでした。カツラではありません・・念のため。

投稿: 七海 | 2010年8月18日 (水) 00時06分

sweat02七海さん

>石をくりぬいた大きな手水鉢

時代劇に出てくるような、大きな
お屋敷ですね。
きっと、広い土間には、たくさんの竈があり
井戸や水瓶、お風呂は五右衛門風呂ですね
そして、妖怪の棲む広い庭を散歩して
あやかしの世界で会話する「七海さん」が
見えます。


投稿: 房州や | 2010年8月18日 (水) 09時12分

うちは小さい家でしたが手水鉢がありました。
下に葉蘭が生えてました。弁当のバランの材料ですが
便所の近くなので弁当のバランには使ってませんでした。
あれ?使ってかもしれん……

奥州、蝦夷地ではどう呼んだのかうちの奥さんに
聞くの忘れてました。彼女は奥奥州の下北育ちです。
多分セトモンでもカラツモンでもなく「土器」だと思います。
三内丸山か……coldsweats01

投稿: 章魚庵 | 2010年8月18日 (水) 13時59分

sweat02章魚庵さん

>手水鉢がありました

  小さな家と思っていたのですが
  きっと大きな家だったのです
  大きな屋敷のお坊ちゃまは
  自分の家の大きさに気付かなかった
  だけです。

  (あの辺りに大きな家は・・・っと)

下北ですか?
一度行きましたよ
土器ですか  う~ん、かもしれません


投稿: 房州や | 2010年8月18日 (水) 18時45分

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